未来の自分の栄養源

おはようございます^^ 昨日も沢山の方が見てくださったようですね。 嬉しく想います!
本日もどうぞよろしくお願い致します。
昨日は臨時のお休みを頂きありがとうございます。
本日23日は通常通り営業となります!
本日も店頭、通販、デリバリー無二の食をご提供いたします。
記事に共感興味をお持ちくださいましたらお店のご利用という形で応援を下さると、
バロメーターとなりより有益な記事に向けたモチベーションが上がることが予想されます(*^_^*)
さて、
本日のお題、
「食べながら見るもの」
ご飯を食べながら何を見ますか?
生活のパターン的に「スマホを見ながら食事を食べる」
これは、一般的な行動となっていると思います。
休憩時間、情報を入れるために見るものだからセットになることも多いと思います。
これは習慣になっている方も多いのではないでしょうか?
ふと目に映る景色でそのような食事のされ方をしている人を見かける機会も多いなあと感じたりします。
観ながら食べるという分かりやすい表現を解説すると、食を口に運ぶこととスマホをいじることを同時に行う行為という感じです。
私たちの体はすべてをまずありのまま受け入れます。
脳の感覚でいえば情報が一度に流れ込んできますから、必要のない感覚や記憶を残さない選択をします。
情報を食べながら食事をすることで、そのものの味わいのおいしさを存分に経験する機会損失・・・・
食べてる本人は感じにくいことかもしれません。
特に食べなれているものだと好みの味の特徴を覚えていますし、その味を認識することで満たされてしまうから。
食事が目的の場合、やはり美味しく食べるためには、食事に関係ないものは食事が終わってからがよいですよね。
日々の食事に使用する時間は、朝昼夜や仕事の日か否かで左右されますが、短い人でも30分くらいでしょうか?
その間は十分な情報を体が処理できるように、シングルタスクの脳の本来の在り方を存分に使用したほうが、
からだには良い影響を期待できそうです。
「~ながら食べる」
これについて、私の想う、お話として一つ、ながら食べをしてしまう事をやめたいなあと考えている方のご参考になれば幸いです。
ながら食べで私が危惧してい居ることは、
情報を見ながら食べるという行為
↓
↓
情報を食べるという行為になる
これです。
目に映る景色は食べもや美味しそうに食べる人の姿ではなく。
スマホの中の情報です。
これはテレビにも言えることです。
ただただシンプルに、脳の機能を捉えますと、
脳にとっては、食事をしながら見る景色や光景はとても「重要なものこと」だと思います。
食べるという行為がどういうものか?
それは
「体を保つための生命維持に必要なカロリー・栄養を取り込む」
五感を持ち機能させながら生きる生物にとって、この過程の行為にもしっかりとその機能が働くからこそ、
見ているものと食べているものの乖離があることで脳の解析はどのようになり体や思考にどのような影響を及ぼすのでしょうか?
と、考えるのです。
この辺りは盲点で指摘している景色を見たことがありませんが、
事実、情報を処理して取り込む脳の機能を捉えると、私にはそのような問題点が見え隠れしてしまいます。
消化吸収する時に入れる情報は想像以上に大切なことだと思います。
自分にインプットするものをはき違える、というかそれが単純な物であればあるほどよりインプットしてしまう傾向を懸念しています。
わかりやすく、
トラウマという言葉がありますが、
「心的外傷・経験によるフラッシュバック」という風に認識されていますが、
これは非常に特殊なケースで複雑であるかのように思えますが、その解釈のメカニズムを分析すると、
そもそも人の「記憶とは五感を通して経験したやあらゆる情報により引き出される」性質があります。
それこそが、その機能の性質が物事を記憶するという「トラウマ」の存在する基本のメカニズムであると言えます。
その時の経験には五感を使用するわけですから、その記憶の特徴のトリガーポイントは一つではなく、
嗅覚、視覚、触覚、聴覚、味覚
全てに存在します。
五感により認識する私達生物は、
記憶を引き出すために五感による経験を使用しますから、
五感を使用する時に入れるものは非常に重要だと思います。
例えば、
このような解釈に対する可能性の理解がないことで、
無意識領域の潜在意識により強くインプットする可能性を秘めています。
分かりやすくまとめ説明すると
例えば過去にとあるランチ中にながらスマホで見た悲しいニュース
そしてそのとあるランチを思い出す味や香りや見た目を、とある日の
「いつか」に、再度経験したときに、
無意識の領域にフラッシュバックを繰り返してしまう。
無意識の領域は無意識ですから自分で気が付くことが出来ません。
そしてその無意識がどのように後の自分に影響するか?
自分の選択肢や思考癖や体の病気やすべてに作用することを私たちはあまりにも理解を深めていない社会のように見受けます。
自分の考えであると思い込んでいるものの多くは、無意識領域にある記憶のかけらを暗記したもの。
このような見識も一つ皆様の中に取り入れてみてください(*^_^*)
情報を食べるとはこのようなことであるとミロクは考えてものつくりをしています。
食事中に楽しい記憶を一つでも多く。
食事中は大切です。
からだに取り込む食事は、五感を分類して体の様々な場所に振り分ける行為ですから、
そこに食事と関係ない過剰すぎる情報はいらないよ。
というそんなコラムでした。
因みにトラウマでいえば、
記憶で集めた五感の断片は一つ一つが様々な動きをして独立した形となりいたるところでそれらを引き出すトリガーとなるという、
研究があるようですね。
ある日の食事が自分の未来の思考選択をつくるということで、
食事に集中してみませんか(*^_^*)
私たちのお菓子もじっくり味わってみてくださいね★
食べる環境も重要なポイントです。
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みんな大好きシナモンロール♡イメージのストーリーはこちらの記事をどうぞ↓
未来を考え豊かな環境を作りたい皆様は、ぜひ引き続き応援の程よろしくお願い致します。
お店をご利用いただけることは励みになります!
ではまたおあいいたしましょう!
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●私たちミロクがある根柢の理由
その起点は代表の私の、20代半ばのころの価値観にあります。
健康の問題や美しくあるためのダイエット、 ヨガやランニングなど健康的な生活を楽しむために、こまめに体を動かすライフスタイルを基盤に生活をしていました。
美しく健康であるために、健康的な若さ、思考の能力を持続したい、これから来る未来に、医療に対し過剰にお世話になる事なく、自身の周りの年配の方々の医療とのかかわり方を見て、若いうちに自らの健康を保ち生活することの必要性を考え、体に対する様々な面で、強く予防を願う想いをかかえて生活をしておりました。
そしてそのサイクルが馴染んでいたライフスタイルのルーティンのバランスが完璧だと思っていたころ、
安心安全という神話が大きく崩れる311・及びに原発事故がありました。
当たり前の環境や景色は、当たり前ではなくほんの数分後には、一瞬にしてすべてなくなる可能性が常にあるということを生まれて初めて知りました。
安心安全、どこか守られているものなどこの世界には一つもないのだと。
当たり前だと感じないほどの日常の当たり前が消えた日を起点に、
命について純粋に捉え、人間の思考や体が何でできているのか?
という観点で死生観はもとより生きてきた過程、選択の基準等、
自分の心のブラッシュアップ・探求がはじまりました。
結論として、
たとえ生活環境を揺るがす何かがあったとしても、
自分の力で日々生きていくために最低限必要な何かを維持するためには、
より深い食の在り方をとらえることが、最低限必要なことだと考えました。
この現代社会はある種、サバイバルそのものであると知りました。
自分が今までの人生で食べてきたものを改めて考え、 その中身は昔のほうがまだわかりやすい原料のものでも現代は非常に複雑化していることを深く知ります。
原料の表示義務がないものが多すぎることでそれが見えないことにより、思い込んだ安心感やそれほど危険だというものが入られているなんて考えていなかったこと。
私が強く抱えた想いは、
「信じるという土俵にないほど当たり前であった物事に裏切られたようなこのような喪失感を未来の大人達が味わう環境を少しでもなくしたい」
社会の現状は、
世の中には、 わが子に対して、当たり前に普通にみなと同じものを食べさせてきた結果を悔やみ、また、ご自身様の若いころの食生活を後悔している人々がいます。
逆に、苦しいが故に、自分の親が与えてくれた環境に対し、
無自覚であったことを攻めてしまう人々もいます。
前者の、
食の選択を親から全身で受け取る純粋な命に、
食の現状のリスクを知らなかったことにより、
お子様の成長の過程での健康について、申し訳ないと後悔している悲しみを抱えた親心に出会うことは非常に多いです。
そのようなお話を多く聞くことで、想うことは、
何が良い悪いではなく、
そうできているのだからやむを得ない社会だということです。
よほどのきっかけが自分の身近な存在や自分にないと、食の不信には気が付きにくい
という表現が正しいです。
そもそも不自由がなく、食に対し不信がない方には見識を信じてもらいにくいことから、
食に関する本質的な情報は、他者はなかなか教えてはくれないということです。
又、なによりも、
私たち人間のコミュニティという特性上、
自分の世界観に必要な情報を好み、選び、その中で生きているのだという、
死角の存在の影響です。
以上のような現象を踏まえ、
お悩みの方が誰かを責めてしまったり、過去を後悔している時間を可能な限り短くすることが出来るならばと、
私たちは、食のご提供を通して、少しでもお力になりたく想う日々の営業です。
そのうえで、
私たちは確固たる信念として以下のように掲げております。
●私たちミロクが目指す未来
1.食べたくても食べれない悲しみや苦しい想いをミロクの食で少しでも緩和させることで
一人でも多くの人やご家族様が喜びと笑顔に満ちる社会へ
2.人口の加工品を活用した緩和ではなく、その先の未来をきちんと捉えた自然の原料のみを使用し、
母親そのものような愛のある心を基準に創る真心の伝承
3.家族間の食による過去の後悔ではなく、これからの気休めでもなく、まぎれもなく
笑顔になれる未来への希望を作り上げるための食をクリエイトいたします。
4.純粋で素朴な味わいによる絶対的な味覚の共通認識を菓子を通して伝承し
健康意識の優性・劣勢等による意識格差による偏見や対立、分断のない社会へ
5.食に対する不信感がつのる社会での指針としての安心の創造
体に入れる食からの未来への不安
純粋に食を楽しむことが出来ない罪悪感に近い嫌悪感
そのような感情から人々が解放・終止符を打つような食の在り方を未来に残します
以上の五項目、私たちはミロクをご支持下さる皆さまと共に目指します。
あとがき
いつも私たちの食を愛してくださり誠にありがとうございます。
私たちは商業のからくりを捉え過剰なブームに乗りません。
社会のブームにおける問題は、常にそこではないことが多く、
過剰におかしな方向にミロクが逸脱していかないように、小麦のお菓子も製造しております。
それは小麦の歴史について考えたからです。
またブームには優性思想が誘発された環境が芽生えます。
情報の中で生きるとこれは避けられないことでもあります。
一つ芽生えると対局も誕生します。
対極にあるものはそれは同一で保たれるものだからです。
「対局同一」、異なるように見えても全く同じものという意味です。
ブームを起点に、例えば、
意識の高いに対して意識が低いとか、過敏であるに対して無知であるとかそのような対立構図です。
様々なことでもいえるのですが、
敬意を持ち尊重できるのがとても平和で成熟した大人の感情であると思うのですが、
常に対立構図が巻き起こる感情対感情とは、対する感情の存在を見下すことで互いの感情の正当性を保つためなのでしょう。
これは心の戦争です。
けれどその垣根を取り除くのは、双方が、
その外側の「おいしいよね」という共通認識できる感情であり、
よりピュアな本質的な作物のおいしさが双方を繋いでくれると、私たちは信じています。
母の味が兄弟の共通認識にあるようなもので、そのスケールは壮大です。
つまり私たちは、実は平和への探求心があり、日々ミロクという形でその追求をしております。
また、
世の中、お世話になっていた食が毒と呼ばれはじめたり、「あれダメこれダメ」と言われるものが多くなってきましたが、
それはテレビであれが良いというとそれが品切れになる現象と同じで、
自分で選んでいるのではなく、実際は情報により選ばされているという現象でもあります。
勿論その賛否をここで問うつもりはありませんが、
このまま思考が情報に縛られていくと
それは近未来、「食事という形の変容・新食事様式」を予期させてしまうものを秘めています。
むれになり皆で食を囲む習慣がある私たち人間にとって、
人間らしい生き方が基本で、 目的は、自分だけが健康でぴんぴんいつまでも生き延びることではなく、前提として人が目の前にある事、他者と酌み交わすひととき、過ごす時間です。
そのひと時が長く多く続くことを幸せの一コマと呼ぶのかと、そう思います。
目的が変わらぬよう考えた時に、 あれが悪いこれが悪いという情報の渦も、 自分の思考のバイアスが働くことだと思います。
自分のガイドラインを捉えて、その先に日々人間らしい生活があることが何よりです。
すべて排除されたキューブの食や液体の食事が常となることでつかめる人間らしい幸せはありますでしょうか?
その答えは皆様のおこころの中にあられます。
皆様のお好みでミロクのコンセプトを感じていただけますと幸いです。
今後ともお引き立てご声援の程よろしくお願い致します^^
miroku