しなやかになるために。

おはようございます!
昨日もご来店、通販のご利用、デリバリーのご注文、 誠にありがとうございます^^
温かなお気持ちを一つ一つ感じて、皆様の「贈りたい」「食べたい」に寄り添うことが出来てとても嬉しく想います。
引き続き私たちミロクをよろしくお願い致します。
いやいや!本日も休まず更新しております(*^_^*)
だってきちんとお読みくださってご来店や通販やデリバリーをお楽しみいただけているのを感じて居るからです。
健やかにお菓子も生活もお楽しみいただけるような、有益な記事の継続を持続していけるように努めるためには、 皆様のお心起点の支えが私達にも必要です。
顔が見えない社会情報だけがあふれた社会では、何を見るか?がとても大切で、 情報は食事と同じくらい、1秒先の自分の未来に影響しますよね。
食事も積み重ねも大切ですが、 瞬間的に及ぼす瞬間的な影響もあると考えております。
口に入れた瞬間から栄養吸収に向けた働きが始まるので・・・・ こちらもやはり。
そのような循環で選んでくださる皆さまの影を営業を通して認知できますので、 嬉しく想っております! ありがとうございます(/ω\)
引き続きどうぞよろしくお願い致します!
さて、 本日のお題「しなやかになるために」
昨日お客様からお嬢さまの節目のお誕生日にケーキのご用命を頂きました。
※毎年ありがとうございます!ミロク初♡ご指定の「本気のあのケーキ」まいります。 「節目」 ということで、 年齢的な節目を意識されており、ほんとうにそうだよな・・・そのような感覚は大切だよな・・・と感じております。
お誕生日自体が節目ですが、 節目は様々なところや意味やいたるところに存在します。
日本人は固い文化ばかりをネガティブポイントとして表現されることが多いですが、 皆様はどう思いますか?
ポジティブポイントは「勤勉」とも言われますよね。
そもそもですよ、そもそも、ポジティブポイントも、ネガティブポイントを他国と比較するのがおかしいとも思います。
全ての国々はその土地や風習で文化を守るために培われたものが土俵にあります。
比較は表現として必要とされるのは仕方のないことですが、 こういう性質という風に比較するに値しないけれど、
確実に国境が薄れゆく今のような交わる社会がひろがるとこのようになるのは当然かと思います。
それが世界基準という視点なら傾向としての比較はあるでしょう。
過去のTV番組で、「ここが変だ」という情報を面白おかしく取り上げていた番組をみて、そうなんだと興味を持った方々もいたかもしれません。
でもそのような土俵の異なるものは非常に失礼であると私は思います。
「変なのか変じゃないのか」、と同じで「正しいとかまともだ」というものも含め、
面白さを盛り込みながらもネタにしたそれは、土俵への敬意なく、
ジャッジしたり決めつけたりするのはもうそれこそが、重要な一線を越えてしまう事だと思います。
その少し昔から、インバウンドの影響もあるでしょうけれど、最近はその基準の傾向というものがミラーニューロンの影響???
個人個人の情報発信が酷似し盛り上がり一人歩きした世界観・ 表現も見受けたりします。
土俵も文化も人種も異なるので互いに全てにおいて、比較はできないのにな・・・・
この辺りは長い話になるのでまたいつか^^
さて、本日のお題「しなやかになるために」に戻りますが、
あくまで、日本の特性としてお話をします。
季節の節目にある行事・・・
この節目は「季節を感じ意識する、自然に敬意を持ちそれを感じる」ことに機能します。
近年のイベントごとではなく、
昔からあるイベントは色濃く、季節にきちんと根差したものがございます。
行事を通して季節の変わり目を知ると、私達には最大のメリットがあるんですよね。
行事により、季節の変わり目や、季節の中でも変化が起きやすい暦を自覚することが出来るので、心構えが出来て、
次の季節に向けた準備や休養や、変化していく物事に馴染めるように整えてくれるんです。
土用の時期の体の変化も驚くほど正しく発動されることが多く、
暦に根差している体はすごいなと感じたりします。
意識してみてくださいね、
土用は、身体が小休止・お休みを求める時期ともいえますよ。
ウナギ=力が付くのイメージに飲み込まれず・・・・なぜ力が必要な時期なのか?を捉えてみてください。
そう今日のお題「しなやかであるために」
植物でいえば、
竹がおれないのは節目があるからです。
強風でもおれない・・
細いものでも強風で倒れたりします。
しかし竹は倒れない・・・
それは、
節の目があるからです。
私たちの環境でいえば、
節目=季節
私たちが健やかでいるためには、
暦に沿い自分の体を感じて立ち止まることのできる、季節の行事を基準にする私たちの文化。
旧暦、新暦あっても、
季節等節目の寄り添うように、わかりやすい月ではなく、もっと細やかなものが実は存在します。
そして、
今は春土用です。
体調に異変が起きやすいのは当たり前で、
少し歩幅を落としましょうか?サインです。
節目はいたるところにありますが、
その節目は近年のものよりも昔のものの方が、本来の私たちをしなやかに保つためという目的が正しく働きます。
節目を捉えましょうね。
節目を感じた行事を大切に、
その行事の前後にある土用はもっと大切に、
人を大切にし、敬意を持ち、自分を愛する。
しなやかにしなやかに節を見つけて意識してみましょう。
春土用は5月5日までです。
いつも以上に体に優しいものを軸にいかがでしょうか?
母の日は比較的新しい行事ですが、
改めて、家族に感謝を表現する節目として素敵な機会であると思います^^
お母さん、おばあちゃん、お母さんのように思いを寄せて下さる近しい方々へ、自分の母性を見つめる日、
様々な観点でふしめとしての労りをお届けいたします。
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P・S
ヴィーガンスイーツやグルテンフリースイーツに対する、落とし穴としてのお話です。
ヴィーガン及びにグルテンフリーを売りにしている菓子は盲点として、糖質が高いです。
小麦や米粉含む穀物やベーキングパウダーでボリュームを出したり、原料をつなぐことが多いからです。
また華やかさの演出でどうしてもそのように陥る最近の傾向は多くが一般的です。
生野菜や果物も糖質となるものがほとんど、たんぱく源が少ない分、逆に体に悪いこともあります。
また大豆のたんぱく質に依存するのも栄養学的に健康に対するものとして大きな問題がある為様々な見識として私たちはその調整を心がけています。
動物性たんぱく質ではないので異なる特性が存在します。
糖質は米粉や小麦を使用したものなら従来の世の中のお菓子の1/10~1/4を基本にしております。
そば粉や豆粉などはその糖質はもっと低くなります。
糖質制限も様々なものがありますが、単純な話でもないと思います。
菓子についてはそこから代替の原料に変換されていくものがほとんどですよね。
身体によいお菓子といってもその見識は非常に浅いものが多く、
私たち界隈で言えば、捉えるポイントが、「食べれない人・アレルギー又はヴィーガン思想」
ということにこだわっている世界がほとんどです。
それは体に優しいという概念にあてはめるのは栄養学的に見ても、私たちの体の構造的にみても無理があります。
「食べれない人・アレルギー又はヴィーガン思想」が軸にあるお菓子たちは、=万人のための栄養学という物事にはけしてあてはまらないです。
ヴィーガンスイーツとは、制約があり食べれない方々への対応のお菓子がテーマなのですが、
いつの間にか本質が無視され、万人に対し体に優しいというすり替えが起きているブームのように感じます。
「誰にとって」体に「どう」優しいのかという焦点は物事を図る側も出す側も抜かしてはいけないと思います。
万人に対する共通として「体に優しい」というのなら、本当の優しさはもっと深い科学的見識が必要だと感じます。
私たちは断言します。
私達ミロクに限りですが私たちのご提案するものはヴィーガンスイーツがベースにあるカテゴリーとはなりますが、糖質とあらゆる原料の基準を用い、本質的に全ての人たちに最大限の体に優しいをお届けいたします。
本当にバランスの良い偏らない嗜好品をお楽しみください。
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●私たちミロクがある根柢の理由
その起点は代表の私の、20代半ばのころの価値観にあります。
健康の問題や美しくあるためのダイエット、 ヨガやランニングなど健康的な生活を楽しむために、こまめに体を動かすライフスタイルを基盤に生活をしていました。
美しく健康であるために、健康的な若さ、思考の能力を持続したい、これから来る未来に、医療に対し過剰にお世話になる事なく、自身の周りの年配の方々の医療とのかかわり方を見て、若いうちに自らの健康を保ち生活することの必要性を考え、体に対する様々な面で、強く予防を願う想いをかかえて生活をしておりました。
そしてそのサイクルが馴染んでいたライフスタイルのルーティンのバランスが完璧だと思っていたころ、
安心安全という神話が大きく崩れる311・及びに原発事故がありました。
当たり前の環境や景色は、当たり前ではなくほんの数分後には、一瞬にしてすべてなくなる可能性が常にあるということを生まれて初めて知りました。
安心安全、どこか守られているものなどこの世界には一つもないのだと。
当たり前だと感じないほどの日常の当たり前が消えた日を起点に、
命について純粋に捉え、人間の思考や体が何でできているのか?
という観点で死生観はもとより生きてきた過程、選択の基準等、
自分の心のブラッシュアップ・探求がはじまりました。
結論として、
たとえ生活環境を揺るがす何かがあったとしても、
自分の力で日々生きていくために最低限必要な何かを維持するためには、
より深い食の在り方をとらえることが、最低限必要なことだと考えました。
この現代社会はある種、サバイバルそのものであると知りました。
自分が今までの人生で食べてきたものを改めて考え、 その中身は昔のほうがまだわかりやすい原料のものでも現代は非常に複雑化していることを深く知ります。
原料の表示義務がないものが多すぎることでそれが見えないことにより、思い込んだ安心感やそれほど危険だというものが入られているなんて考えていなかったこと。
私が強く抱えた想いは、
「信じるという土俵にないほど当たり前であった物事に裏切られたようなこのような喪失感を未来の大人達が味わう環境を少しでもなくしたい」
社会の現状は、
世の中には、 わが子に対して、当たり前に普通にみなと同じものを食べさせてきた結果を悔やみ、また、ご自身様の若いころの食生活を後悔している人々がいます。
逆に、苦しいが故に、自分の親が与えてくれた環境に対し、
無自覚であったことを攻めてしまう人々もいます。
前者の、
食の選択を親から全身で受け取る純粋な命に、
食の現状のリスクを知らなかったことにより、
お子様の成長の過程での健康について、申し訳ないと後悔している悲しみを抱えた親心に出会うことは非常に多いです。
そのようなお話を多く聞くことで、想うことは、
何が良い悪いではなく、
そうできているのだからやむを得ない社会だということです。
よほどのきっかけが自分の身近な存在や自分にないと、食の不信には気が付きにくい
という表現が正しいです。
そもそも不自由がなく、食に対し不信がない方には見識を信じてもらいにくいことから、
食に関する本質的な情報は、他者はなかなか教えてはくれないということです。
又、なによりも、
私たち人間のコミュニティという特性上、
自分の世界観に必要な情報を好み、選び、その中で生きているのだという、
死角の存在の影響です。
以上のような現象を踏まえ、
お悩みの方が誰かを責めてしまったり、過去を後悔している時間を可能な限り短くすることが出来るならばと、
私たちは、食のご提供を通して、少しでもお力になりたく想う日々の営業です。
そのうえで、
私たちは確固たる信念として以下のように掲げております。
●私たちミロクが目指す未来
1.食べたくても食べれない悲しみや苦しい想いをミロクの食で少しでも緩和させることで
一人でも多くの人やご家族様が喜びと笑顔に満ちる社会へ
2.人口の加工品を活用した緩和ではなく、その先の未来をきちんと捉えた自然の原料のみを使用し、
母親そのものような愛のある心を基準に創る真心の伝承
3.家族間の食による過去の後悔ではなく、これからの気休めでもなく、まぎれもなく
笑顔になれる未来への希望を作り上げるための食をクリエイトいたします。
4.純粋で素朴な味わいによる絶対的な味覚の共通認識を菓子を通して伝承し
健康意識の優性・劣勢等による意識格差による偏見や対立、分断のない社会へ
5.食に対する不信感がつのる社会での指針としての安心の創造
体に入れる食からの未来への不安
純粋に食を楽しむことが出来ない罪悪感に近い嫌悪感
そのような感情から人々が解放・終止符を打つような食の在り方を未来に残します
以上の五項目、私たちはミロクをご支持下さる皆さまと共に目指します。
あとがき
いつも私たちの食を愛してくださり誠にありがとうございます。
私たちは商業のからくりを捉え過剰なブームに乗りません。
社会のブームにおける問題は、常にそこではないことが多く、
過剰におかしな方向にミロクが逸脱していかないように、小麦のお菓子も製造しております。
それは小麦の歴史について考えたからです。
またブームには優性思想が誘発された環境が芽生えます。
情報の中で生きるとこれは避けられないことでもあります。
一つ芽生えると対局も誕生します。
対極にあるものはそれは同一で保たれるものだからです。
「対局同一」、異なるように見えても全く同じものという意味です。
ブームを起点に、例えば、
意識の高いに対して意識が低いとか、過敏であるに対して無知であるとかそのような対立構図です。
様々なことでもいえるのですが、
敬意を持ち尊重できるのがとても平和で成熟した大人の感情であると思うのですが、
常に対立構図が巻き起こる感情対感情とは、対する感情の存在を見下すことで互いの感情の正当性を保つためなのでしょう。
これは心の戦争です。
けれどその垣根を取り除くのは、双方が、
その外側の「おいしいよね」という共通認識できる感情であり、
よりピュアな本質的な作物のおいしさが双方を繋いでくれると、私たちは信じています。
母の味が兄弟の共通認識にあるようなもので、そのスケールは壮大です。
つまり私たちは、実は平和への探求心があり、日々ミロクという形でその追求をしております。
また、
世の中、お世話になっていた食が毒と呼ばれはじめたり、「あれダメこれダメ」と言われるものが多くなってきましたが、
それはテレビであれが良いというとそれが品切れになる現象と同じで、
自分で選んでいるのではなく、実際は情報により選ばされているという現象でもあります。
勿論その賛否をここで問うつもりはありませんが、
このまま思考が情報に縛られていくと
それは近未来、「食事という形の変容・新食事様式」を予期させてしまうものを秘めています。
むれになり皆で食を囲む習慣がある私たち人間にとって、
人間らしい生き方が基本で、 目的は、自分だけが健康でぴんぴんいつまでも生き延びることではなく、前提として人が目の前にある事、他者と酌み交わすひととき、過ごす時間です。
そのひと時が長く多く続くことを幸せの一コマと呼ぶのかと、そう思います。
目的が変わらぬよう考えた時に、 あれが悪いこれが悪いという情報の渦も、 自分の思考のバイアスが働くことだと思います。
自分のガイドラインを捉えて、その先に日々人間らしい生活があることが何よりです。
すべて排除されたキューブの食や液体の食事が常となることでつかめる人間らしい幸せはありますでしょうか?
その答えは皆様のおこころの中にあられます。
皆様のお好みでミロクのコンセプトを感じていただけますと幸いです。
今後ともお引き立てご声援の程よろしくお願い致します^^
miroku