食べ物による垣根のない平和な未来を作ります

おなじものでも。

おなじものでも。

こんばんは^^ 本日は臨時のお休みを頂きありがとうございます。

 

ご予定のお客様がおられましたら、誠に申し訳ございませんでした。

設備や運営や私たち働く人間のメンテナンス含めまして、 急な事情や都合などもあります為、変則的な部分はやむを得ずに起きるスケージュールの調整、 ご迷惑おかけいたしております。

本当に、深いお心でいつもご理解いただきありがとうございます!

さて本日は夜の更新となりましたが、 楽しみにしてくださるお客様方に向けて、ひと記事更新したいと思います^^

 

 

 

本日のお題 「おなじものでも」

 

 

さて、

例えばからだに良いという数ある商品、その中で判断をするのなら、自分で使用して判断するのが一番です。

その手に入れ方も含め相性もありますので、自分と縁のないものは無理をせず縁のあるものの範囲で使用してみる基準を大切にしています。

縁というのは、いつも完売していないとか、たまたま必要な情報を四方から頂いたとか・・・・

でもなかなか本質的に良いものに出会うことはできないと感じておりますので、

ご縁のあるものは大切にしたいと考えて生活に取り入れたりします。

 

とくに健康関連で言えば、

ドラえもんのグッズのような不思議系・・・簡単にほにゃらら系・・・ 多いですよね。

その程度はありますが、値段なりに意味があり、本当に良いものも多くあります。

でも、私は良いか悪いかはもちろん大切だと思うのですが、 その中身に違和感を感じるものは手放すようにしています。

正直本当に良くても、その根底の人の心の在り方が何より大事だと考えています。

 

どんなによくても、その中身を動かしている心の在り方は大切。

「目の前の品」をその成り立ちや想いに要素分解しての「その形そのもの」だからです。

すべてが自分の心で咀嚼、納得できるものとして積み上げられたうえでの「その品」 つまり、

その品には不可欠だった要素ですから。

その要素を見過ごすことはできません。

何をどんな想いで生み出したか?

全てがあってのそのもの。

 

 

けれど、なかなか心の在り方は見えにくいところに存在します。

 

例えば、そうですね・・・・

これは単なるたとえ話ですが、 洗剤もナチュラルな世界観でこれぞ無添加という購入しやすい価格帯のものがあっても、 それは無添加だから落ちにくいのか?

消費者の食事の汚れの質が悪いのか? 沢山消費してもらうために落ちにくいのか? 環境を考えてナチュラルだから落ちにくいのか?

自然派という印象できわどいラインで消費を促すために薄いのか???

 

 

どのような知名度がある物でも、そのあたりを深く考えないと自分がエネルギーを注ぐ場所を間違えてしまうことになる。

 

自分が必要とするものでも、その理由がナチュラルな場所にあるならば尚のことその根底には興味が湧くものです。

※この洗剤のたとえ話は架空の表現です

 

例えば、おなじものでも、購入場所や人でその中身が及ぼす自分への影響は計り知れません。

ナチュラルや健康界隈の生活用品・美容関連・健康グッズ商品には多いお話ですが、 販売者・製造者側の心持ちや生き方は非常に重要です。

全てが不透明な場合こそ、レスポンス等のその中身に心が付随されているのかよくよく考えることは重要ですよね。

食品関係でとても丁寧でお心のある会社様と出会いました。

他でも販売しているものも販売しているのですが、 多少価格が高いとしても、自社製品ではない場合は仕方ないでしょう。

でも心持が素晴らしい方々がセレクトしている品ですから、もう全力でその会社様から購入しようとそう想う出来事がありました。

本当に丁寧なご対応をしてくださる。。。。

そこにはきちんと心がある・・・

もう素晴らしいですね。

心という付加価値、 そして価格にはきちんと意味があるけれど その中身の説明があまりにも見えない理屈の場合はその人となりが見えるかどうか?

多勢向きではなく、最終的に、対個人に対する心の在り方の断片・・・大切ですよね。

 

 あけれど、

お客様にもお店側にも個性やその状況があるので、すべてに当てはまることではないですが・・・

 

 当たり前ですが、お客様が理不尽なことなどによりお店側がNGとして対応を拒否したり、正当にお断りすることはあてはまらないでしょう。

また逆もしかり。

 

 

 

 

健康の意識がひろがり、様々な毒とされるものに恐怖を感じる社会になっているからこそ。

 

思い込みによるプラシーボ効果の存在は想像以上の効果を持ちます。

 

 だからこそそれ以外の人となりにむけ、

きちんとその背景を要素分解して、商品の剥いている方向やその人となりを考える事非常に大切だと思います。

恐怖心や依存心が強ければ強いほど、本質的なことを見ないふりをして、正当化し突き進んでしまうのも心理的要因にはあります。

 

でも試してみないとその理屈や体感や販売側、個人とのつながりには至りませんから、

 

損失回避の脳を打破し、

自分で選択したうえで経験するというのは想像以上の知恵や感覚や見る目という財産をもたらしてくれます。

 

 

 

本質的なものごとに近い場所に偽物が付随していくのは商業のカラクリでしょう・・と認識しています。

恐れるがあまり手に入れられない、恐怖ゆえに妄信し手放せない、

このリスクは要素をきちんと心レベルまで、人としての在り方のレベルまで考えるとよいですが、

経験をしたものしか体験できない、他者からの伝達では自分の経験にはならない。

 

 

 さて、

 最近体験したことなどエピソードをお店で聞かせ下さいね^^

お話しできるほどならば、きっとその経験は無駄ではないですよ。

 

健康に興味のある皆様はいろいろチャレンジしているかと想像します。

 

 

私は高額なものはないですが、

まあかわいいものですが・・知るために取り入れてきたことが沢山あります。

最終的に手放す理由は、その品の方向が大きく矛盾している人となりの在り方・・・・こればかりなんです。

どんなに良いものでもきちんと要素分解して不可解なものは手放しています。

 

納得し、継続しているものはわずかです(/ω\)

 

 

 

ですから私たちも皆様の必要な段階に応じた食をご提案しています。

また心の要素分解はこちらの記事をいつもご覧くださっておられる方々に見てほしいと考えて記事を綴っています。

本当に内容をご理解したいとか・・・必要な人にだけ見てほしいです。

 

会員制熱望!しているのは何より私達^^

 

 

そんな私達のおすすめはこちらです。

心持感じていただけたら嬉しいです^^↓

 

 グルテンフリーのわくわく♡焼き菓子箱 大サイズ(小麦不使用 乳卵不使用 無添加 オーガニック) - miroku:sweets net

 

 

皆さまのお店のご利用は私たちにとっての原動力です。

いつもありがとうございます!

 

P・S

ヴィーガンスイーツやグルテンフリースイーツに対する、落とし穴としてのお話です。

 

ヴィーガン及びにグルテンフリーを売りにしている菓子は盲点として、糖質が高いです。

小麦や米粉含む穀物やベーキングパウダーでボリュームを出したり、原料をつなぐことが多いからです。

また華やかさの演出でどうしてもそのように陥る最近の傾向は多くが一般的です。

生野菜や果物も糖質となるものがほとんど、たんぱく源が少ない分、逆に体に悪いこともあります。

また大豆のたんぱく質に依存するのも栄養学的に健康に対するものとして大きな問題がある為様々な見識として私たちはその調整を心がけています。

動物性たんぱく質ではないので異なる特性が存在します。

糖質は米粉や小麦を使用したものなら従来の世の中のお菓子の1/10~1/4を基本にしております。

そば粉や豆粉などはその糖質はもっと低くなります。

糖質制限も様々なものがありますが、単純な話でもないと思います。

菓子についてはそこから代替の原料に変換されていくものがほとんどですよね。

身体によいお菓子といってもその見識は非常に浅いものが多く、

私たち界隈で言えば、捉えるポイントが、「食べれない人・アレルギー又はヴィーガン思想」

ということにこだわっている世界がほとんどです。

それは体に優しいという概念にあてはめるのは栄養学的に見ても、私たちの体の構造的にみても無理があります。

 

「食べれない人・アレルギー又はヴィーガン思想」が軸にあるお菓子たちは、=万人のための栄養学という物事にはけしてあてはまらないです。

ヴィーガンスイーツとは、制約があり食べれない方々への対応のお菓子がテーマなのですが、

いつの間にか本質が無視され、万人に対し体に優しいというすり替えが起きているブームのように感じます。

「誰にとって」体に「どう」優しいのかという焦点は物事を図る側も出す側も抜かしてはいけないと思います。

万人に対する共通として「体に優しい」というのなら、本当の優しさはもっと深い科学的見識が必要だと感じます。

私たちは断言します。

私達ミロクに限りですが私たちのご提案するものはヴィーガンスイーツがベースにあるカテゴリーとはなりますが、糖質とあらゆる原料の基準を用い、本質的に全ての人たちに最大限の体に優しいをお届けいたします。

 本当にバランスの良い偏らない嗜好品をお楽しみください。

 

 

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●私たちミロクがある根柢の理由

 その起点は代表の私の、20代半ばのころの価値観にあります。

健康の問題や美しくあるためのダイエット、 ヨガやランニングなど健康的な生活を楽しむために、こまめに体を動かすライフスタイルを基盤に生活をしていました。

美しく健康であるために、健康的な若さ、思考の能力を持続したい、これから来る未来に、医療に対し過剰にお世話になる事なく、自身の周りの年配の方々の医療とのかかわり方を見て、若いうちに自らの健康を保ち生活することの必要性を考え、体に対する様々な面で、強く予防を願う想いをかかえて生活をしておりました。

 

 

そしてそのサイクルが馴染んでいたライフスタイルのルーティンのバランスが完璧だと思っていたころ、

安心安全という神話が大きく崩れる311・及びに原発事故がありました。

 

当たり前の環境や景色は、当たり前ではなくほんの数分後には、一瞬にしてすべてなくなる可能性が常にあるということを生まれて初めて知りました。

安心安全、どこか守られているものなどこの世界には一つもないのだと。

 

 

 

当たり前だと感じないほどの日常の当たり前が消えた日を起点に、

命について純粋に捉え、人間の思考や体が何でできているのか?

という観点で死生観はもとより生きてきた過程、選択の基準等、

自分の心のブラッシュアップ・探求がはじまりました。

 

結論として、

たとえ生活環境を揺るがす何かがあったとしても、

自分の力で日々生きていくために最低限必要な何かを維持するためには、

より深い食の在り方をとらえることが、最低限必要なことだと考えました。

 

この現代社会はある種、サバイバルそのものであると知りました。

自分が今までの人生で食べてきたものを改めて考え、 その中身は昔のほうがまだわかりやすい原料のものでも現代は非常に複雑化していることを深く知ります。

 

原料の表示義務がないものが多すぎることでそれが見えないことにより、思い込んだ安心感やそれほど危険だというものが入られているなんて考えていなかったこと。

 

私が強く抱えた想いは、

 

「信じるという土俵にないほど当たり前であった物事に裏切られたようなこのような喪失感を未来の大人達が味わう環境を少しでもなくしたい」

 

 

 

 社会の現状は、

世の中には、 わが子に対して、当たり前に普通にみなと同じものを食べさせてきた結果を悔やみ、また、ご自身様の若いころの食生活を後悔している人々がいます。

逆に、苦しいが故に、自分の親が与えてくれた環境に対し、

無自覚であったことを攻めてしまう人々もいます。

 

 前者の、

食の選択を親から全身で受け取る純粋な命に、

食の現状のリスクを知らなかったことにより、

お子様の成長の過程での健康について、申し訳ないと後悔している悲しみを抱えた親心に出会うことは非常に多いです。

 

そのようなお話を多く聞くことで、想うことは、

何が良い悪いではなく、

そうできているのだからやむを得ない社会だということです。

 

よほどのきっかけが自分の身近な存在や自分にないと、食の不信には気が付きにくい

という表現が正しいです。

 

そもそも不自由がなく、食に対し不信がない方には見識を信じてもらいにくいことから、

食に関する本質的な情報は、他者はなかなか教えてはくれないということです。

 

又、なによりも、

私たち人間のコミュニティという特性上、

自分の世界観に必要な情報を好み、選び、その中で生きているのだという、

 

死角の存在の影響です。

 

以上のような現象を踏まえ、

 

お悩みの方が誰かを責めてしまったり、過去を後悔している時間を可能な限り短くすることが出来るならばと、

 

私たちは、食のご提供を通して、少しでもお力になりたく想う日々の営業です。

 

 

そのうえで、

 

私たちは確固たる信念として以下のように掲げております。

 

 

 

●私たちミロクが目指す未来

 

1.食べたくても食べれない悲しみや苦しい想いをミロクの食で少しでも緩和させることで                                                                         

                       一人でも多くの人やご家族様が喜びと笑顔に満ちる社会へ

 

2.人口の加工品を活用した緩和ではなく、その先の未来をきちんと捉えた自然の原料のみを使用し、

                   母親そのものような愛のある心を基準に創る真心の伝承

 

3.家族間の食による過去の後悔ではなく、これからの気休めでもなく、まぎれもなく

     笑顔になれる未来への希望を作り上げるための食をクリエイトいたします。

 

 4.純粋で素朴な味わいによる絶対的な味覚の共通認識を菓子を通して伝承し

    健康意識の優性・劣勢等による意識格差による偏見や対立、分断のない社会へ

 

5.食に対する不信感がつのる社会での指針としての安心の創造 

              体に入れる食からの未来への不安

       純粋に食を楽しむことが出来ない罪悪感に近い嫌悪感

    そのような感情から人々が解放・終止符を打つような食の在り方を未来に残します

          

 以上の五項目、私たちはミロクをご支持下さる皆さまと共に目指します。

 

 

 

 

あとがき

 

いつも私たちの食を愛してくださり誠にありがとうございます。

 

私たちは商業のからくりを捉え過剰なブームに乗りません。

社会のブームにおける問題は、常にそこではないことが多く、

過剰におかしな方向にミロクが逸脱していかないように、小麦のお菓子も製造しております。

それは小麦の歴史について考えたからです。

 

またブームには優性思想が誘発された環境が芽生えます。

情報の中で生きるとこれは避けられないことでもあります。

一つ芽生えると対局も誕生します。

対極にあるものはそれは同一で保たれるものだからです。

 

「対局同一」、異なるように見えても全く同じものという意味です。

 

ブームを起点に、例えば、

意識の高いに対して意識が低いとか、過敏であるに対して無知であるとかそのような対立構図です。

様々なことでもいえるのですが、

 

敬意を持ち尊重できるのがとても平和で成熟した大人の感情であると思うのですが、

常に対立構図が巻き起こる感情対感情とは、対する感情の存在を見下すことで互いの感情の正当性を保つためなのでしょう。

これは心の戦争です。

 

けれどその垣根を取り除くのは、双方が、

その外側の「おいしいよね」という共通認識できる感情であり、

よりピュアな本質的な作物のおいしさが双方を繋いでくれると、私たちは信じています。

母の味が兄弟の共通認識にあるようなもので、そのスケールは壮大です。

 

つまり私たちは、実は平和への探求心があり、日々ミロクという形でその追求をしております。

 

 また、

世の中、お世話になっていた食が毒と呼ばれはじめたり、「あれダメこれダメ」と言われるものが多くなってきましたが、

それはテレビであれが良いというとそれが品切れになる現象と同じで、

自分で選んでいるのではなく、実際は情報により選ばされているという現象でもあります。

勿論その賛否をここで問うつもりはありませんが、

 

このまま思考が情報に縛られていくと

それは近未来、「食事という形の変容・新食事様式」を予期させてしまうものを秘めています。

むれになり皆で食を囲む習慣がある私たち人間にとって、

人間らしい生き方が基本で、 目的は、自分だけが健康でぴんぴんいつまでも生き延びることではなく、前提として人が目の前にある事、他者と酌み交わすひととき、過ごす時間です。

そのひと時が長く多く続くことを幸せの一コマと呼ぶのかと、そう思います。

 

目的が変わらぬよう考えた時に、 あれが悪いこれが悪いという情報の渦も、 自分の思考のバイアスが働くことだと思います。

自分のガイドラインを捉えて、その先に日々人間らしい生活があることが何よりです。

すべて排除されたキューブの食や液体の食事が常となることでつかめる人間らしい幸せはありますでしょうか?

その答えは皆様のおこころの中にあられます。

 

 

皆様のお好みでミロクのコンセプトを感じていただけますと幸いです。

今後ともお引き立てご声援の程よろしくお願い致します^^

 

 

 miroku