食べ物による垣根のない平和な未来を作ります

わすれる事・おぼえること

わすれる事・おぼえること

こんにちは^^

本日もチェックしに来てくださいまして、ありがとうございます!

 

本日も、ミロクのお菓子たちを通販・デリバリー・店頭皆様のタイミングや状況に応じて、皆様のお仲間にぜひよろしくお願い致します★

 

さて今日はアンケートで多かったお悩みでもある「物忘れ」についてのコラムです。

 

物忘れ、

 

わすれる事が悪いような危険信号のような情報も多く社会環境を考えると、たしかに不安はつきものですよね。

 

けれど、

 

不要なものをすて新しいものを得るのは脳の働きともいえますから、年を重ねたとか?すべての物忘れが危険かというと?

そんなこともないと思います。

 

人は新しい記憶を得るとそれについてさらに、考える時間が増える。

考えるという仕組みは、様々な情報や記憶の組み合わせが必要なので、脳は様々なことに思考を張り巡らせます。

 

 

ということは、あまり考えない人ほど、いままでのエピソードが蓄積している状態。

過去の記憶頼みということです。

新しい記憶を入れていないことは、 新しい記憶と結びついたものではないから考える余地がない。

即ち、 忘れるから新しいことを覚えることが出来る。

 

物忘れをしてしまうと、「あっ・・・なんだっけ???やだ~どわすれ!! 」何ていいながらも最近多いかも等・・・とらわれてしまいますが。

知識や知恵が増えていることで考えなくても引き出しを感覚的に取り出し活用することで考える時間が減るということもありますよね。

考える人こそ物忘れが多いのかもしれないですね。

 

ふと、物忘れをした時、今何をしていたか振り返ると、 新しいものを入れるような状態でお仕事をしていませんでしたか?

 

眼鏡をかけながら新聞を読み情報を入れていたけど、次の動作で何かするときに無意識に日常的に眼鏡を頭にあげ、その上げたメガネの記憶を忘れる。

これはわかりやすいことかもしれません。

でもその後、眼鏡をそこにあげたことは経験になり眼鏡を探すということは起きにくくなる。

何度もあまり繰り返さないことでもあります。

お年寄りの代名詞のように、このような事情は比喩されることもありますが・・・・

これに近い物忘れは老若男女経験はあると思います

※眼鏡に限らずほかの小物でもいえますね、目の前のことなのに見えなくなる等々。

 

それは、

新しい情報を入れるために重要ではない情報を捨てている。

ということで、そこまで過敏に、忘れることを恐れないでくださいね。

 

余談:

あまりにも多くある「忘れること」を改善したい場合は、脳に影響を及ぼす身の回りにふえたもの、

栄養学的な方法などどちらもきちんと考え強化することを推奨します。

「根本的な見直しにご興味のある方のみに向けたコラム」としてミロクの見解を綴る予定です。

きちんとご興味と必要性と考える力のある事という住み分けが必要なため、

誰がどこで見てるのか一方通行の垂れ流し状態にはできない記事でもありますので、有償の記事となりますが、

ミロク的・思考の嗜好noteという引き出しに綴りたいものの一つです。

その時は自己分析の道具の栄養としてお楽しみください^^以下URLが私たちの文章による情報のお店です。

 mirokusendai|note

 

 

 

冒頭でお話したように、記憶を構築するためにも

新しいことをどんどん入れると常に考えることが増えるという意味で、

脳は活発になり記憶にも良い影響を及ぼします。

 

忘れる事と覚える事はセットであるということは一つ普遍的な物でしょう。

 

 

 

 

 

それはさておき、

私は忘れることに危機感をあたえて来る社会以上に危険だと思っていることがあります。

情報が増え新しいものを見聞きする時代だからこそものを忘れる頻度はけた違い。

しかも次から次へと情報が入ってくるのです。

 

 

 

わすれる事への警鐘のせいで死角になっている、覚えることの危険性です。

情報頼みで、覚えること自体は悪くないのですが、覚えることに比率が傾くと失うものがあります。

 

ここで注意しなくてはいけないのは、

経験も体験もないのに情報からの知識のみでいっぱいになる。

 

 

人の話し方や、文体や特徴やそれらを物まね細胞が簡単に記憶してしまう事も合わさり、結果

 

自分は何者でもなくなってしまう。

 

 

自分が何者なのか?これは個性という意味では非常に大切です。

 

昨今、みな同じ・・・どこまで行っても均一化・・・・

本質的な個性が失われている現象にあふれている背景はここだと思います。

 

 以前の景色を知らない世代は比較対象が出来ないことでその変化には気が付かないですよね。

 

髪型で言えば、

同じ現象がここまでわかりやすい時代はなかったと記憶しています。

勿論流行りはあるので均一化は戦後は常に色濃かったでしょうが・・・

 

 

もう最近の男の子たちの髪型は非常に顕著です。

国境を越えた均一化にまであと一歩です。

 

月並みですが良し悪しではなく、事実の現象という意味で、

この個性の損失を、ブームであると割り切るのも一つ。

考える材料にするのも一つ。

 

自由自在です(*^_^*)

 

 

ここで私の見識からひと言記事に綴るなら、

 

自分という存在の持ち味がにじみ出る自分やお子様の個性を育てたい場合は

予測できない経験という体験を少しでも多くできる環境を増やすことが必要だと思います。どこかで見聞きした体験をもとに自分の反応を組み立てることをなくすのは、

現代以前に情報が瞬間的に伝搬流通される世界では難しいのですが・・・

 例えば何かとっさのリアクション一つ、私たちは共通です。

見本をどこかで見ているし見本を忠実にまねて表現する大人から子供たちは学びますので。

同じになっていきます。

 

因みに、

この理屈に心揺さぶられたり、気が付かれる方は、

「当たりまえ」という考えの背景を考えることが出来る人だと思います。

 ※何度も言いますがいい悪いではなく、事実です。

 

 

話は戻り、

若ければ若いほど予測できない物事やの経験を、

テレビや何かの情報に依存できない環境に子供を連れだし感性を培う機会を当ててあげるのは重要です。

後の個性に大きな影響を及ぼします。

 

 

社会の基本として、

現在の教育というものには「個性がなくなりやすい教育」が主体にあるので非常に重要なことかと想像致します。

 

個性をはぐくむ環境は、親が子供に与えてあげられる最大のギフトの中の一つだと思います。

 

個性的だと言われるものの多くは個性的ではなく、箱の中に整理整頓された枠組みの種類。

自分の個性に出会いたい場合脳の中の情報のルーツを一つでも紐解くことが出いそうです。

 

自分はなぜこの時こういう反応をするのかな?

この話し方誰かに似てないかな?

 

良い悪いではなく、例えばなしですが、

 

一つの会社に事務員さんが二人いたとします。

先輩の事務員さんと同じ声やアクセントや・・・

間合い合わせののあといつもの方なのか部下の方なのか
同じ人が二人いるような・・・

そっくりな話し方・・・

 

何度も外部から問い合わせや取引を通しているときに、

そのように感じることはないですか?

それは直属の上司と部下でも顕著ですよね。

 

物まね細胞のなせる業です。

 

生きるために必要な機能でもあるのですが、

 

あらゆる物事物まねでコピーしてしまうのは個性を問いただすことを遠ざけてしまう・・・・

 これが脳科学でもきちんと証明されている特性という・・・

 

今日はそんなお話でした!

 

さて、 

 

外に出ましょうかね^^

桜の花を追いやるように切れうな新芽たちがどんどん生まれ全身伸びをしてで手を広げているようです✨

今日という一日は今日しかないですから^^

 

 

 

お店でお待ちしていますので、お立ち寄りくださいね。

 

 

 

生活に考える彩を文書化していますので、

応援ご声援の程よろしくお願い致します(*^_^*)

お店のご利用は私たちの活力です★

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●私たちミロクがある根柢の理由

 その起点は代表の私の、20代半ばのころの価値観にあります。

健康の問題や美しくあるためのダイエット、 ヨガやランニングなど健康的な生活を楽しむために、こまめに体を動かすライフスタイルを基盤に生活をしていました。

美しく健康であるために、健康的な若さ、思考の能力を持続したい、これから来る未来に、医療に対し過剰にお世話になる事なく、自身の周りの年配の方々の医療とのかかわり方を見て、若いうちに自らの健康を保ち生活することの必要性を考え、体に対する様々な面で、強く予防を願う想いをかかえて生活をしておりました。

 

 

そしてそのサイクルが馴染んでいたライフスタイルのルーティンのバランスが完璧だと思っていたころ、

安心安全という神話が大きく崩れる311・及びに原発事故がありました。

 

当たり前の環境や景色は、当たり前ではなくほんの数分後には、一瞬にしてすべてなくなる可能性が常にあるということを生まれて初めて知りました。

安心安全、どこか守られているものなどこの世界には一つもないのだと。

 

 

 

当たり前だと感じないほどの日常の当たり前が消えた日を起点に、

命について純粋に捉え、人間の思考や体が何でできているのか?

という観点で死生観はもとより生きてきた過程、選択の基準等、

自分の心のブラッシュアップ・探求がはじまりました。

 

結論として、

たとえ生活環境を揺るがす何かがあったとしても、

自分の力で日々生きていくために最低限必要な何かを維持するためには、

より深い食の在り方をとらえることが、最低限必要なことだと考えました。

 

この現代社会はある種、サバイバルそのものであると知りました。

自分が今までの人生で食べてきたものを改めて考え、 その中身は昔のほうがまだわかりやすい原料のものでも現代は非常に複雑化していることを深く知ります。

 

原料の表示義務がないものが多すぎることでそれが見えないことにより、思い込んだ安心感やそれほど危険だというものが入られているなんて考えていなかったこと。

 

私が強く抱えた想いは、

 

「信じるという土俵にないほど当たり前であった物事に裏切られたようなこのような喪失感を未来の大人達が味わう環境を少しでもなくしたい」

 

 

 

 社会の現状は、

世の中には、 わが子に対して、当たり前に普通にみなと同じものを食べさせてきた結果を悔やみ、また、ご自身様の若いころの食生活を後悔している人々がいます。

逆に、苦しいが故に、自分の親が与えてくれた環境に対し、

無自覚であったことを攻めてしまう人々もいます。

 

 前者の、

食の選択を親から全身で受け取る純粋な命に、

食の現状のリスクを知らなかったことにより、

お子様の成長の過程での健康について、申し訳ないと後悔している悲しみを抱えた親心に出会うことは非常に多いです。

 

そのようなお話を多く聞くことで、想うことは、

何が良い悪いではなく、

そうできているのだからやむを得ない社会だということです。

 

よほどのきっかけが自分の身近な存在や自分にないと、食の不信には気が付きにくい

という表現が正しいです。

 

そもそも不自由がなく、食に対し不信がない方には見識を信じてもらいにくいことから、

食に関する本質的な情報は、他者はなかなか教えてはくれないということです。

 

又、なによりも、

私たち人間のコミュニティという特性上、

自分の世界観に必要な情報を好み、選び、その中で生きているのだという、

 

死角の存在の影響です。

 

以上のような現象を踏まえ、

 

お悩みの方が誰かを責めてしまったり、過去を後悔している時間を可能な限り短くすることが出来るならばと、

 

私たちは、食のご提供を通して、少しでもお力になりたく想う日々の営業です。

 

 

そのうえで、

 

私たちは確固たる信念として以下のように掲げております。

 

 

 

●私たちミロクが目指す未来

 

1.食べたくても食べれない悲しみや苦しい想いをミロクの食で少しでも緩和させることで                                                                         

                       一人でも多くの人やご家族様が喜びと笑顔に満ちる社会へ

 

2.人口の加工品を活用した緩和ではなく、その先の未来をきちんと捉えた自然の原料のみを使用し、

                   母親そのものような愛のある心を基準に創る真心の伝承

 

3.家族間の食による過去の後悔ではなく、これからの気休めでもなく、まぎれもなく

     笑顔になれる未来への希望を作り上げるための食をクリエイトいたします。

 

 4.純粋で素朴な味わいによる絶対的な味覚の共通認識を菓子を通して伝承し

    健康意識の優性・劣勢等による意識格差による偏見や対立、分断のない社会へ

 

5.食に対する不信感がつのる社会での指針としての安心の創造 

              体に入れる食からの未来への不安

       純粋に食を楽しむことが出来ない罪悪感に近い嫌悪感

    そのような感情から人々が解放・終止符を打つような食の在り方を未来に残します

          

 以上の五項目、私たちはミロクをご支持下さる皆さまと共に目指します。

 

 

 

 

あとがき

 

いつも私たちの食を愛してくださり誠にありがとうございます。

 

私たちは商業のからくりを捉え過剰なブームに乗りません。

社会のブームにおける問題は、常にそこではないことが多く、

過剰におかしな方向にミロクが逸脱していかないように、小麦のお菓子も製造しております。

それは小麦の歴史について考えたからです。

 

またブームには優性思想が誘発された環境が芽生えます。

情報の中で生きるとこれは避けられないことでもあります。

一つ芽生えると対局も誕生します。

対極にあるものはそれは同一で保たれるものだからです。

 

「対局同一」、異なるように見えても全く同じものという意味です。

 

ブームを起点に、例えば、

意識の高いに対して意識が低いとか、過敏であるに対して無知であるとかそのような対立構図です。

様々なことでもいえるのですが、

 

敬意を持ち尊重できるのがとても平和で成熟した大人の感情であると思うのですが、

常に対立構図が巻き起こる感情対感情とは、対する感情の存在を見下すことで互いの感情の正当性を保つためなのでしょう。

これは心の戦争です。

 

けれどその垣根を取り除くのは、双方が、

その外側の「おいしいよね」という共通認識できる感情であり、

よりピュアな本質的な作物のおいしさが双方を繋いでくれると、私たちは信じています。

母の味が兄弟の共通認識にあるようなもので、そのスケールは壮大です。

 

つまり私たちは、実は平和への探求心があり、日々ミロクという形でその追求をしております。

 

 また、

世の中、お世話になっていた食が毒と呼ばれはじめたり、「あれダメこれダメ」と言われるものが多くなってきましたが、

それはテレビであれが良いというとそれが品切れになる現象と同じで、

自分で選んでいるのではなく、実際は情報により選ばされているという現象でもあります。

勿論その賛否をここで問うつもりはありませんが、

 

このまま思考が情報に縛られていくと

それは近未来、「食事という形の変容・新食事様式」を予期させてしまうものを秘めています。

むれになり皆で食を囲む習慣がある私たち人間にとって、

人間らしい生き方が基本で、 目的は、自分だけが健康でぴんぴんいつまでも生き延びることではなく、前提として人が目の前にある事、他者と酌み交わすひととき、過ごす時間です。

そのひと時が長く多く続くことを幸せの一コマと呼ぶのかと、そう思います。

 

目的が変わらぬよう考えた時に、 あれが悪いこれが悪いという情報の渦も、 自分の思考のバイアスが働くことだと思います。

自分のガイドラインを捉えて、その先に日々人間らしい生活があることが何よりです。

すべて排除されたキューブの食や液体の食事が常となることでつかめる人間らしい幸せはありますでしょうか?

その答えは皆様のおこころの中にあられます。

 

 

皆様のお好みでミロクのコンセプトを感じていただけますと幸いです。

今後ともお引き立てご声援の程よろしくお願い致します^^

 

 

 miroku