我慢の限界点
皆様こんにちは。
本日の店長日記音でのご案内はこちらです
我慢の限界点〜店長日記より3/27 - あしたも笑顔に出会えるお菓子 | stand.fm
昨日はお願いのアンケート・・・・
お時間を作ってくださってのお付き合いご協力 誠にありがとうございます!!!
隅々まで拝見いたしました^^
あたたかい・・・・ 皆様の熱量を感じれること、生きている意味ともいえます。
返礼のご連絡もシステムの都合ですが今しばらくお待ちくださいね。
※3月29日より抽選制となりました
お礼のドーナツお渡しのためのキーワード追ってご連絡いたします。
引き続きアンケートのご回答お待ちしております。
抽選でドーナツが当たります(*^_^*)
さて、 本日のお題は、
「我慢の限界点」
皆様は我慢の限界点についてご自身様のバロメーターの空き領域など認識はされておりますでしょうか?
私はいまいちできていないというのが正直なところです。
その時々の気分に変動される感情の生き物だから、それは当然ですが、 もうだめだな・・・という感覚を感じること大切なことですよね。
ある方が言っておりました、
「我慢をする人ほど体を病みやすい」
それはわかっていても、 我慢をついついしがちな方は、 我慢を我慢だと感じていないことがほとんどかもしれません。
我慢に耐えられない人は敏感に感じるでしょうから・・・
また、一つ怖いことは、 何か建前や常識の圧力で自分に無理を強要しすぎていることに気が付かないことです。
もちろん社会で生きる上で、
適度な我慢は必要なことですが、その我慢、次回は許容するタイミングは約束されていますか?
我慢する理由ではなく、 何かを行いたい理由に目を向けておりますか???
二日前の日記に脳のメカニズムについて書きましたが、 甘いものを欲する脳の特性というものの記事です。
感覚による意味づけ、その先にあるのは栄養学のみでは測れないと思います。
甘いものを欲する理由で言えば、「あれがたりてないとこの栄養素が・・・」
という件ですね。
そこではなく 理屈を知るのではなく 「理解」まで落とすということが大切かと思います。
理屈?????
そうそれが脳の性質のお話でもあったのです。
その前の思考癖のお話とも精通いたします。
例えば私たちがご提供する世界観で言えば、
「食することで罪悪感を感じる」 という世界観です。
それはとても深いお話ですが、 その言葉は本当に適正でしょうか?
動物愛護等の意識のある方はもちろん命に対する罪悪感、 環境保護に意識のある方は環境破壊による罪悪感 という解釈ですが、
もし食べることに、健康や美容を危惧して、 たべちゃった~~~という感覚を「罪悪感」という言葉に変換されているとしたら
それは大きな誤りで健康に非常によくないと捉えることができます。
動物愛護や環境保護を食と結び付けている思想の方々と、 それらを分けて捉えなくてはおかしなことで理解をすることで、
心理的なバイアスが及ぼす美容・健康への影響は大きく異なります。
メディアの悪い特性・すり替えが起きていることを説明いたしますね。
先に述べた、
1.何かの保護という思想により食べてはいけないと考えてるのに食べた=罪悪感
2.体に悪いと言われているのに食べた、ダイエットしているのにカロリーを考えないで食べた =後悔
皆様、この罪悪感と後悔の違い とても大切なんです。
この言葉が及ぼす心身の影響・・・・・
罪悪感とは贖罪、罪の意識 後悔とは悔やむこと この言葉の意味を理解していないで、そのまま使用して生活するのでは、
鬱になるかならないか、心が大きく病む、病を生み出す その決定権を持ってしまうほどの差があります。
本当なんです。
そのことについては健康に関する研究論文等も存在いたと記憶しています。
私たちが
「罪悪感のないお菓子」
と言わない理由はこれです。
先に述べたように、そもそも罪悪感を持つ場所は人それぞれ焦点が異なります。
メンタル面においてそれを、私たちがキャッチコピーにしてしまうことは病を強要しているような意味があります。。
大切なこと 食べること全般という抽象度で物事を図るとそもそも食べることは、すなわち生きることですから、罪ですらないですよね。
何を食べるかということに対する罪の意識というものがあるとしたら、それは 人により異なります。
しかしながら、食べることそのものを罪としてしまうと、 そのうち食べ物の形が変わることさえも許容してしまうことになります。
食物連鎖は自然の普遍性です。
それを否定すると生物としての価値を虐げることにもなります。
それほど自然の流れ普遍的なことだということです。
もう一度述べます 。
美容や健康意識の高い方々が抱えるその感情、 罪ではなく後悔ではないですか???
罪悪という感情のふたは 後悔よりも重たく冷静な分析や解釈を妨げます。
それぐらい言葉の意味というのは脳科学的にも深いものです。
多くは何気なく使用する言語ではありますが、
罪悪感という重い十字架に履き替えてしまうことを気が付かないで普通に使用し続けると、
そこまでの罪ごとではないのにもかかわらず、
みずから脳に記憶させ折り目を付けてしまいます。
脳は簡単に心や体にさまざまのものを生み出せます。
病は気からという言葉がありますよね・・・あながち・・ということです。
だからこそ、 言葉をきちんと戻しましょう^^
そもそも後悔した理由は 自分を愛しているからです(*^_^*)
愛が強く大切にしたいと願う心が後悔となります。
後悔は悪くない、人間は考えて後悔してステップアップする生き物です。
後悔する自分も含め愛すべき自分!
でも罪悪感を抱く自分は自己否定です。
それは徐々に顕在化してしまうほどのパワーがあります。
食べたいと思うこと、食べることに罪なんてないです。
食べてはいけないのに食べてしまうという方は、本当の知識への足掛かりを手に入れませんか?
このようなお話をここに書く理由として、
食にかかわる人間の見識として、お客様より講話など開催のご相談を受けることが度々あるのですが・・・
けれど私は環境や状況や希望や思考パターン等、様々な方々がおられる中で一人一人に有益に合致するような情報をお届けするのは不可能かと考えております。
ということで皆様がお気軽にお買い物にいらした際に、 お話の流れでご相談を受けたりして、それに経験や実績のある情報をもとにお話をすることは多いです。
それをお伝えしたかったです。
是非お気軽に雑談等ご相談ください。
また、 食について見識を深めております。
ちなみに、こうあるべきとか、私たちは特別マクロビやヴィーガンフードを推進しておりません。
そのカテゴリーはもちろん必要な方もおられると考えております。
私たちの見識はネットで手に入る情報とはことなることばかりだと思います。
・・・・ もうこの時点で目からうろこですよね?
私たちの食がある意味は現在そこにはおりません。
私たちのお店の使い方様々、 皆様が食と付き合う道筋に大切な存在としてバランスをとるために存在できましたら嬉しいです。
勿論私たちのこだわりの基準で、安全のものをお届けしております。
けれど一番大切なことは、 食に対する味覚をするどく、素材そのもの味わい豊かに、その味わいを通して、 味覚からの思考のリセット✨食のご提案をしているのが事実です。
人は自分が食べたいと感じるものがおいしく感じるのですから、
自分が本当に食べたいものを知ることが重要です。
そのようなミロク、皆様のポテンシャルに合わせてお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
ちなみに皆様がじっくりと穏やかな自分の時間を過ごすときのお供の味わいのエッセンスは 素材の安心をお届けすることが最低条件だと考えています(*^_^*)
そうそう今日のタイトルの、我慢の限界点
皆様も我慢することは何かがおかしいからであり、我慢しなくてはいけない本当のところ。
何かを我慢しすぎて口に入れるときには罪の意識にまでなり毒になるほどの十字架を背負う前に、
後悔に書き換えて、脳や心にも栄養を与えてあげてみてください。
本当の毒は決めつけられすり替えられ行く思考です。
時々は再好きなものを食べて、おいしいよなあってつぶやくことも大切です。
私ですか??
私もいろいろあります^^
明日は「それは毒なのかな?本当の毒って?毒との付き合い方」について書きたいです。
頑張ります(*^_^*)
あ!
店頭や通販ともに皆様のfeelingに合うものを見つけましたら、ぜひ買い物も引き続きお願いいたしますね。
日々の励みと喜びです(`・ω・´)