体験という経験
こんにちはMIROKUです。 いつもありがとうございます^^
店長日記は、 ミロクのおやつタイムをお過ごしくださるすべての皆様、
今後ミロクのおやつタイムを過ごしたい方々へお届けいたします。
今日はネガティブではないですが、シビアな記事です。
「死生観」に関する記事です。
それに少しでもにご興味のある方のみお読みください。
食べるということの尊さにもつながるお話です(*^_^*)
また、生きる原動力を欲している方に非常におすすめの記事です!
なにか保守的にバイアスが働くことをよしとされる方は関係無い記事ですが、
保守的なバイアスを破りたい方へ そんな記事です。
そのような方がいて、 きっとこの記事を読んでいただけたら、
冒険をするように身軽に選択もフットワーク軽く、 楽しめるようになると思います。
では、
本日のお題 「体験という経験」
突然ですが、 皆様が、 今したいことは何ですか?
行きたいところはどこですか?
なかなか会えないけど会いたい人は誰ですか?
食べたいものは何ですか?
※本当に当たり前で、 書く必要もないのですが、記事の一人歩きを避けるために記しますが・・・ この話の欲求の条件は、多くの人が嫌がることや、人のみならずどこかにに危害を加えてしまう迷惑をかけることではないことです。
その行動を妨げるバイアスが、 自分や他者に危害を与えるものでないなら、喜びや楽しみや癒しをもたらしてくれるチャンスなら、
「すべて、今すぐしたほうが良い」
そう思います。
今日の、記事は私的には・・・ とても大切なお話です。
分かっていても、 今その時を瞬間的なものだとどこかとらえきれていない、私たち人間の習性・・・
当たり前にあると思っている景色が想像以上に尊いことを、 「知る」ではなく、 「実感」することは生きる上で、
そこからの命の時間の密度が大きくかわると、私個人は自分事として考えています。
そして何よりも、 食というものは勿論、それは無関係ではないと考えています。
ミロクは食のご提供ですから勿論関係があります。
心から湧き出る感情、 「今どこかに行きたい」とか、「誰かに会いたい」とか、「何かを見たい」、「したい」という感情は生ものです。
それは無形であり、実体がない感情というものですから、未来に持ち越すことはできないです。
例えば、人はそれをかなえるために多少無理をしても、 時間やタイミングやお金や、道具何とかそろえることができる可能性があるから、
「欲求を満たしたい」と考えます。
会いたい人がいるとしたら、会いましょう!
その人に会える環境が揃えられる未来はけして約束されていないからです。
自分も相手もこの世の中で生きていることが叶えられる最低限の条件です。
今の社会では、その条件は想像以上の奇跡の確立だと思います。
また会う為に移動する体力や心を動かす脳の元気が揃っているのは若いうちであり、 年を重ねるとなかなか難しくなるものだろうと、体の機能構造上の理屈を考えると、 そのように考えています。
日々の、食生活や環境により健康的な脳とそれを起点にする健康で元気に動き回れる体があれば問題ないですが、 省エネモードを好む脳は、 年を重ねるとともに、どんどん億劫になる特性もあります。
何かをしたいからできるまでの距離、 それは変化していくものですから、 必要なものすべて揃えてあうことができるなら、
その時は、 今! なのだと思います。
老舗の洋菓子店や中小企業の閉店のお知らせなど相次いでおりますね。
ネットの中では冷酷なものから、真逆の温かいものから、様々な言葉が飛び交います。
御顔が見えないのでどのような方々がそのような想いで文章にして発信するのかは不明ですが、
私も社会に生きる消費者としてだけではなく、生み出す側としても、どちらの立ち位置でも思うことは、
先に述べましたが、 誰かに会いたい場合、人がこの世の中に生きているという環境という絶対条件があります。
人の命が作る以上、人間が生み出す商品を用いたあらゆる商店ももちろんそうです。
絶対条件というものは不滅ではないですから、
今あることがなんと尊いのでしょうか・・・・
当たり前ですがそう思います。
さてここからは、時の尺度を知るために必要なお話です。
先日とあるところに行きました。
そこは昔火山で村自体がなくなり、けれどたかだか二百年もたたない今はリゾート地と化しています。
その場所に住んでいた人々や旅行をしていた人々は、その場所が永遠にあるとか、そんなことも考えないレベルで、当たり前にそこにいて、
けれど災害の後、翌日にはその場所は村ごとなくなってしまった。
これはそんな昔ではなく、ことが起きてから二百年未満の土地が今はリゾート地として認識されている。
当たり前にある景色がある日突然・・・ というのは311も同じですが、
甚大な被害のあったところがなんだかあれよあれよと、観光地化しています。
被害のあった現実、私たちの命の時間で見てもそれは少し前の、つい最近ともいえる尺度です。
そんな昔のことではないと思えます。
二百年や三百年まえの出来事は人間の時間では長く感じてしまうかもしれませんが、
木々の樹齢や自然の変動などを捉えると大した時間の経過ではないと思います。
また、例えば、 身近なことで言えば、 先日まで長い間ずっとあったビルが解体されたり、アーケードの中にずっと長いことあった商店が、 ほとんどなくなったり、更地に突然マンションがそびえたったり、、 住む人々が外国の方々になってきたり、、
地球誕生の歴史から見たら、目の前の今の景色は歴史のまたたくまの一瞬であるし、
人一人がそこにいる時間というものはよりほんの一瞬だということ、 今を生きる一人一人が、人生とはほんの一瞬であるということ、
それを認識するのには、 変化を振り返れるだけの経緯という歳月が必要です。
私は思います、
だからこそ、 思った以上に一瞬である、今その時、その瞬間を味わい行動を移し、
興味関心のある物事の体験という経験をひとつでも多くしたもの勝ちであると。
それは行きたい場所や会いたい人に限ったことではなく 自らの体験という好奇心や愛情を持ち、何かを「したい」という あらゆる欲求や好奇心を信じ解放してあげること、 これは最高に自分を愛してあげることだと思うのです。
あらゆるその瞬間瞬間の欲求が、二度目という約束のないことだということを知り、
それがどれだけの奇跡的な価値であると理解することでその価値基準が上回ることが出来たときは
行動にできない理由をあらゆる天秤にかけること自体がもったいない
と知ることが出来ます。
今、体があり、どんな些細な興味関心でも行動に移せるのなら、 ぜひ行動という形で自分を愛してあげてください。
ひとは体験という機会の損失を、 認識しにくいのは、今の自分のサイズを測ることができないからです。
宇宙の中での自分の規模を把握できないからです。
そして「次の機会」という・・・
未来に確約されていないことに、興味関心でさえも先送りしたことで、なだめるような癖があります。
先送りで失う確率が飛びぬけて上がるものは 生きているからこそできる体験・生を味わう醍醐味ではないでしょうか?
その先送りが納得するものであればよいですが、 後悔することかもしれないし、 それさえも忘れて損失しているかもしれない。
また、若年時は行動力のあった人が故に 経験をできるタイミングはあたりまえではなかったと、
経験や状況の価値は年を重ねて見えてくる方もおられるでしょう。
それは良くも悪くも、普通であり、年を重ね加速した脳の省エネ化により起きる現象です。
面倒・てまがかかること、わずらわしいこと
億劫・気乗りしないこと
臆病・怖がる・尻込み
その理由がもし漠然なら、
人生の尺度について考えてみる余地はあると思いませんか?
是非、私たちと共に、一緒に考えましょう(*^_^*)
私たちミロクは、食を通して、尊さを表現しています。
銀河系から見たら私たちの今いる時間は記録に残らないほどの一瞬の尺度、 お客様が尊いと、
ミロクの存在をいつも大切にしてくださるように、 私たちも皆さんとの出会い尊いと感じております。
本日は「体験という経験」というお話でしたが、 親愛なるミロクのお客様方の、何かのご参考に、お役に立てたら幸いです。
いつもありがとうございます^^